潘存坤
(西南交通大學,四川 成都 610036)
日本語の文を構(gòu)成するには、主語、述語、目的語、修飾語などの要素が必要である。修飾語は名詞や代名詞、形式名詞(敘述の便宜上、名詞や代名詞、形式名詞を総括的に「名詞」と呼ぶ)などを修飾する連體修飾と、動詞、形容詞を修飾する連用修飾に分けられている。いわゆる連體修飾は、名詞は文の中のほかの成分によって修飾された文法用語である。その連體修飾は、語句による連體修飾と節(jié)による連體修飾に分けられる。日本語の連體修飾の構(gòu)造を分かりやすく説明するために、下の図で示す。(「—」線で表記した部分は修飾成分であり、「=」線で記した部分は被修飾成分である)。(『インガ』
例文(1)は一語の形容詞「寒い」で「冬」に対して修飾しているものである。これは語句による連體修飾の類である。例文(2)の「花子が買った」は獨立した節(jié)として「カメラ」に対して修飾しているものである。例文(3)の「輝いた」と「楽しそうな」は並列の節(jié)として「微笑」に対して修飾したものであるが、例文(2)も(3)も節(jié)による連體修飾の類に屬したものである。
中日両言語は修飾語(定語)が名詞の前に位置するという點が同じなので、日本語の簡単な連體修飾語は多くの場合、中國語に直訳できる。しかし、すべての日本語の連體修飾語は中國語に直訳できるとは限らない。その原因は、両言語にはそれぞれの言語慣習と規(guī)則の相違點が存在しているのである。
日本語の連體修飾と中國の定中構(gòu)造の言語慣習における異同があるため、漢訳に影響を與える。
2.1.1 同じのところ
下の例文を比較してみる。
(4)東京までの新幹線が出発した。
訳文:開往東京的新干線已經(jīng)出發(fā)了。
例文(4)訳文から見ると、両言語の下線部は対応している。両言語とも連體修飾語(定語)が名詞に付き、前置形連體語を使う。この點が同じなので、日本語の連體修飾語は中國語の「定語」に直訳できる。日本語の語順は主語が文の冒頭に位置し、目的語が述語の前に來るのである。つまり、日本語の文の語順が「SOV」型である。目的語が述語の前に來ることは日本語の最大の特徴である。たとえば、花子は本を読む(主語—目的語-述語)。これと違う中國語(花子讀書)は、謂語(述語)が賓語(目的語)の前に置かれる言語である(SVO型)。ところで、両言語の修飾語は被修飾の前に來るから、例文(4)のような簡単な連體修飾語は中國語の「定語」に直訳できる。だから、例文(4)は成立できる。
2.1.2 違うところ
簡単な連體修飾語の漢訳は簡単であるが、多く場合、日本語の文の中での連體修飾語はいくらの文節(jié)からなる複雑なものである。下の例文を見よう。
(5)a學校に行くのを嫌がって、b家でテレビゲームやっているc生活を二年も繰り返したd中學三年の郁夫が、いつの間にか父親とも母親とも全く話をしなくなってしまいました。(段銀萍『天津外國語學院學報』)
訳文:?不愿去上學,總是在家玩兒游戲的生活過了兩年的中學三年級的郁夫,不知道從什么時候開始完全不跟父母說話了?!痹U
(6)a肩にカバンをかけて、b白い帽子の下に赤い顔をしているc可愛い坊やが南の方からやってきた。(厖春蘭『新編日漢教程』)
訳文:?肩上背書包,戴著白帽子,紅臉的可愛的男孩從南邊過來了。
———直訳
以上の例文(5)と(6)は、二つ以上の文節(jié)からなる複雑な連體修飾語の文である。直訳した文(不自然の訳文は「?」で示す)の下線部は分かりにくい中國語である。日本語の連體修飾語は中國語の「定語」と強い対応関係があっても、言語慣習の原因で、完全に対応できない。すなわち、あらゆる連體修飾語は中國語の「定語」に直訳できるわけではない。
日本語には、このような複雑な連體修飾語の文がよく見られる。それに比べ、中國の「定語」が短い。この現(xiàn)象が生まれる原因は両言語の文法上の相違點がある。言語形態(tài)上の分類では、日本語は粘著語に屬するので、文法的な関係を表す格助詞や動詞、形容詞などの活用を借りて、複雑な連體修飾語となりやすい。それに対して、孤立語に屬する中國語は、日本語のような格助詞が全くない、語順と「虛詞」によって、文法的な関係を表す。それで、中國の「定語」があまり長くない。例文(5)と(6)訳文の「定語」が長くて複雑すぎるから、文の意味が理解しにくいのである。
中日両言語は言語慣習上の相違點があるほかに、言語規(guī)則の上では、違うところもある。學習者はその相違點が分からないと、誤訳しやすいのである。
(7)思い出せば、子供が0歳、一歳の時、名古屋に転職した私は、子育てが楽しいと思えなかった。むしろ、毎日涙を流すほど辛かった。
訳文1:?回想起來,孩子未滿1歲和1歲時,調(diào)到名古屋工作的我,那時不覺得孩子是件愉快的事情,相反感到很痛苦,每天以淚洗面。
直訳したら、連體修飾 ? 定中構(gòu)造
定語(調(diào)到名古屋工作)+的+中心語(我)
訳文2:孩子未滿1歲和1歲時,我調(diào)到名古屋工作,……(段銀萍『天津外國語學院學報』)
逆訳したら、連體修飾 ? 主述構(gòu)造
主語(我)+述語(調(diào))+到名古屋工作
例文(7)の訳文1は、日本語の連體修飾は中國の「定中構(gòu)造」に直訳されるものである。例文 (7)の中での被修飾語は人稱代名詞「私」である。すなわち、日本語の連體修飾語は人稱代名詞が修飾できる。しかし、中國には、「定語」が人稱代名詞が修飾できないという言語規(guī)則がある。以上の直訳された訳文が中國語の言語習慣に応じなくて、「定語」の使用規(guī)則にも違反する。それで、一般的に言えば、連體修飾の被修飾語が人稱代名詞であれば、連體修飾は中國語の「定中構(gòu)造」に直訳できない。このような連體修飾の漢訳の場合、中國語の言語規(guī)則に応じるために、中國の「主述構(gòu)造」に逆訳されなければならない。だから、例文(7)の訳文2は中國語の言語規(guī)則に相応しく分かりやすい文である。
中日両言語にはそれぞれの言語慣習と規(guī)則の相違點があるので、複雑な連體修飾語を中國語に訳す時、逆訳と分訳を使う必要がある。
2.3.1 逆訳の応用
(8)彼の首に両手をかけていつまでも泣いている彼女を抱いて、彼はただぼんやりとしている。
(下線部:連體修飾)
訳文1:?兩手勾住他的脖子,苦過不停的她,他抱著她茫然若失。
(下線部:定中構(gòu)造)
訳文2:她兩手勾住他的脖子,哭過不停,他抱著她茫然若失。(解放軍外國語學院『日訳漢講義』)
(下線部:主述構(gòu)造)
訳文1では、日本語の連體修飾は、中國の「定中構(gòu)造」に直訳された。訳文の「定語」があんまり長くないが、文の意味が理解しにくくなる。訳文1と比べ、訳文2は逆訳を用いて、日本語の連體修飾を中國の「主述構(gòu)造」に訳したものである。すなわち、原文の被修飾語「彼女」を主語あるいは主題に訳して修飾語を述語に訳したのである。このような訳し方は中國語の言語習慣に相応しくて、わかりやしい訳文が翻訳できる。だから、両言語慣習および規(guī)則の違いがある場合、逆訳を利用して、日本語の連體修飾を中國語の述語に訳す必要がある。
2.3.2 分訳の応用
(9)私は彼の長男である二十歳ぐらい東京の私大生という青年の訪問を受けた。
(下線部:連體修飾)
訳文1:?我接待了他的長子,二十歲,是東京某私立大學學生的一個青年的來訪。
(下線部:直訳 ? 長い「定語」)
訳文2:我接待了一個青年的來訪。那是他的長子,二十歲,是東京某私立大學的學生。(張秀華『高級日語筆訳』
(下線部:分訳 ? 短文)
訳文1では、日本語の連體修飾語は、中國語の長い「定語」に直訳されている。その「定語」が複雑で、中國語の言語慣習に相応しなくて分かりにくい。訳文2は、分訳の方法を利用して、日本語の連體修飾語は中國語の獨立した短文に訳されたものである。こうすれば、意味がはっきり分かりやすい。一般的に言えば、長すぎる連體修飾語は中國語になじまない。これは日本語の連體修飾構(gòu)文をばらして訳さればならぬ大きな理由である。
本稿は、日本語の連體修飾語の漢訳について、日中両言語の言語慣習及び言語規(guī)則に異同點を比較し分析した上で、言語學の角度から、どんな場合、どんな翻訳方法を用いてよいかを論じてみた。日本語の簡単な連體修飾を中國語の「定中構(gòu)造」に直訳すればいいが、複雑な連體修飾を中國語の「定中構(gòu)造」のように訳すことができない。その理由は、両言語の言語慣習及び規(guī)則の相違點によるものである。言語慣習上、日本語は自身の特徴(粘著語)で、複雑な連體修飾語となりやすいのである。それに対して、中國語(孤立語)は複雑な「定語」となりにくいのである。言語規(guī)則上、日本語では、連體修飾語が人稱代名詞が修飾できる。中國では、人稱代名詞はめったり「定語」に修飾されない。それで、この二つの違い點があって、日本語の連體修飾語に対して漢訳するとき、ケースバイケースで違った処理をする必要がある。
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