李 慧
(云南大學(xué)旅游文化學(xué)院 云南 麗江 674100)
日本では8 世紀(jì)頃に成立した 『古事記』、『日本書紀(jì)』、『萬葉集』、『風(fēng)土記』に歌垣の記事があり、そこには男女が結(jié)婚や戀愛を目的にお互いに歌を掛け合うことが記載されている。 日本の古典文學(xué)や民俗文化の研究にとって、歌垣研究は欠かせないものであるが、「配偶者や戀人を求める」 という実用的な目的で自然的に行われる歌の掛け合い——「原型的な歌垣」 に対する研究が長期間にわたって、 直面している難問は何よりも詳しい文字記載のないことである。
一方、 視野を日本を含む東アジアに広げて見ると、そこはまさしく歌垣文化圏といわれる地域であり、しかもその中のいくつかの地域では、今なお歌垣的行事が行われているのである。 そして、早くも1980 年代ごろから中國西南地域に居住する少數(shù)民族には日本の歌垣とよく似た歌の掛け合い文化を持つことが次第に報(bào)告されるようになった。 苗族、壯族、ペー族など、中國の少數(shù)民族の歌掛けの文化は日本に紹介されてきて、それに日本の歌垣文化の研究に貴重な資料と見なされ、日本の古代文學(xué)研究者に注目されるようにもなってきた。
歌垣はアジアのアニミズム的神話世界を持つ民族の間で伝わっている奧床しい風(fēng)習(xí)である。 こういう分布を簡(jiǎn)単に見てもせめて二つの基本的情報(bào)がわかるだろう。それは、自然世界と密著して生きること(自然との共生)を歌垣にとって大切な基礎(chǔ)としてよい。 また歌垣の存在にはむしろある積極的な意味も持ち込んでいるであろう。
アニミズムとは霊的存在が肉體や物體を支配するという精神観、霊魂観で、世界的にひろく宗教、習(xí)俗の中で一般に存在している。 日本の神道では、人の営みにも神が宿ると考え、農(nóng)業(yè)·林業(yè)·漁業(yè)などにおいて、例えば稲作信仰の米作りは神事であり、これらの自然と密著した一次産業(yè)だけでなく、二次産業(yè)においても建築·土木·鉱業(yè)や鍛冶の工業(yè)や醸造·酒造といった食品加工業(yè)にも神が宿ると考え、職業(yè)としての神事があり、神棚や裝束を備え纏い、行程の節(jié)目に固有の儀式を行い、現(xiàn)在も引き継いでいる職業(yè)は多く存在する。
また、近代化は確かに大きな進(jìn)歩であるが、一方では退歩も含んでいる。 地球の自然環(huán)境の破壊や人間と自然との共生関係をずたずたにしていくことなど、失ってきているものが多い。 少數(shù)民族文化は、便利さなどの面で劣り、経済的にも比較的に貧困であるが、その中には、人間存在の、最も原型的な部分が殘されているのは事実である。 最後に、少數(shù)民族の文化の最も重要な要素は何よりも文化の獨(dú)自性という點(diǎn)である。 少數(shù)民族は伝統(tǒng)的な共同體を維持する傾向があるので、 人間の存在形態(tài)の多様性を減少させ、近代文化という均質(zhì)世界へと吸収していく傾向を持つ近代化の波の中で、 自分たちの固有の文化をどう自覚化し、それを失わないままに物質(zhì)的な豊かさを受け入れることができるのである。
上述のように、歌垣の分布は古代日本のほかに、中國南部からインドシナ半島の諸民族において濃密である。しかもその中のいくつかの地域では、 今もって歌垣的行事が行われている。 男女が集會(huì)し、お互いに掛合歌を歌うことによって求愛し、あるいは戀愛遊戯をする習(xí)俗で、年中行事あるいは儀禮として行われることが多い。 もちろん原因がないわけはない。 その源流を訪ねてみれば、この日本を含む東アジアのいわゆる歌垣文化圏という地域とほぼ同一地域に重ね合って分布するのは照葉樹林文化圏である。
熱帯から亜熱帯、 暖溫帯にかけての濕潤地帯には、常緑で広い葉をもつ常緑広葉樹林が出現(xiàn)する。 また、葉の表面がロウ質(zhì)の発達(dá)したクチクラ層で被われ、陽光を受けるとテカテカ光ることから「照葉樹」とも呼ばれている。 照葉樹林文化論を主に擔(dān)ったのは中尾佐助、 佐々木高明といった學(xué)者である。 彼らは日本の生活文化の基盤をなす主な要素が中國雲(yún)南省のシーサンパンナを中心とする東亜半月弧に集中するとして、類似した文化の広がる地域を照葉樹林文化圏と名付けた。
このカシ、シイなど常緑広葉樹からなる「照葉樹林」を原植生とする溫暖多濕な地域は、ヒマラヤ中腹の亜熱帯地域、タイ、ミャンマーを中心とする東南アジア大陸部の北部山岳地帯、 中國の雲(yún)南·貴州の高地から江南地方、 臺(tái)灣省、南西諸島を経て日本列島の南半部まで東西にベルトのように伸びている。 この照葉樹林帯には多くの民族が住んでいるが、その生活文化には數(shù)多くの共通の文化要素が存在し、世界的に見てこの地域に特有のものである(佐佐木高明 1998:145-150)。 この地域では、 土著信仰のみならず、いれずみと斷髪、歌垣、アニミズム、山岳信仰、赤米と穀霊信仰、そして農(nóng)具や木·竹·わらの道具、下駄、草履などの日本人になじみのあるものも共通して見られる。 その共通の特徴としては、ワラビ、クズの根、カシ、トチなどの堅(jiān)果を水に曬してあく抜きする技法、養(yǎng)蠶から絹を加工する技法、ウルシの樹液から漆器をつくる技法、柑橘類の栽培と利用、麹を用いた酒の醸造、茶の葉を加工して飲用する慣行などが挙げられる。 また、納豆の製造もこの地域が起源であって、粘つく納豆は日本獨(dú)特だが、京都に伝承される大徳寺納豆、愛知県豊橋市に伝承される浜納豆などの乾燥納豆は雲(yún)南地方にも見られる。 日本は発酵食品の種類の多いことで世界的に知られるが、それもアジアの照葉樹林帯に共通する特徴である。
つまり、良く似ている生存條件のもとに、日本、中國南部からインドシナ半島の諸民族において歌垣といった風(fēng)俗における類似性や共通性が形成されてきた。
つめるところ、歌垣の分布は日本から中國の南部を経てインドシナ半島の諸民族において濃密である。 実は歌垣だけでなく、 東南アジアから日本までの広い地域では、人種的な類似性、稲作文化および様々な習(xí)俗の共通性、神話の類似性といった點(diǎn)にも注目すれば、 かつての西南日本、特に昔の琉球王國と中國の西南部、臺(tái)灣省が一つの文化圏だったという考えを出す人も多いのである。
一方、照葉樹林文化が、日本列島に影響を及ぼした様々な文化圏のうちの一つに過ぎないという見方が有力になっている、これは照葉樹林文化論の現(xiàn)在という。 しかし、言わば、この照葉樹林文化帯が類似している地理環(huán)境のこと、つまり、生存條件を指しているしかないのである。 それに、このような生存條件に制約されていて、人間の生活と文化の各方面での類似性がよく現(xiàn)れているのも不思議ではないであろう。
本論において、主として東南アジアから西日本までの照葉樹林帯の広まり、さまざまな習(xí)俗の共通性、歌垣の類似性といった點(diǎn)に注目した。 それに、この分布範(fàn)囲の広い地域の中から、たとえば、中國少數(shù)民族の歌垣を抜き出して參考にするのが、日本古代歌垣のイメージへの近道であろう。
日本語の書籍(著作者の五十音図順による).
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