【要旨】日本は小國というものの、文化は豊かである。日本文化を理解するために、日本人の數(shù)字観を研究する必要がある。本稿は日本文化の中で重要な位置をしめる數(shù)字文化、いわば日本人の數(shù)字観の角度から、日本人の民族特性を分析しようとしていた。本稿は中日の「多い」と「少ない」の意味を含む數(shù)字の紹介、吉と忌の數(shù)字の異同、奇數(shù)と偶數(shù)の好き嫌い、また好き嫌いの原則について探究し、日本人の數(shù)字観を探ることを試みった。
【キーワード】數(shù)字観 奇數(shù)文化 好き嫌い 開放性
一、初めに
世界の言語と同じように、數(shù)字という文字も中日両國の言語の中に存在している。中日は一衣帯水の隣國で、地理位置は近いというものの、人々の數(shù)字観が大変違う。以下は「多い」と「少ない」、吉と忌、奇數(shù)と偶數(shù)「好き嫌い」の原則という四つの方面から研究する。日中數(shù)字観の異同から日本人の特有の數(shù)字観を把握したい。
二、「多い」と「少ない」
古代から、各民族は「多い」と「少ない」についての言葉がたくさんある。その中で、中日は特に數(shù)字を用いて、「多い」と「少ない」の意味を表す。しかも、中日のこういう習(xí)慣には、少なくとも違うところがある。
「一は二より少ない、五は三より多い」、これらのものは數(shù)學(xué)中の概念であり、実際の數(shù)を表示している。しかも、言語の中では數(shù)字は全部そんな明確的ではなく、多くの場合では、數(shù)學(xué)は不明確でぼんやりとした概念を表している。
中國語では、「三」は「多い」の意味で、古文や成語の中でよく使われる。例えば「三思而后行(よく考えてから行動する)」、「舉一反三(一を聞いて三を知る)」、「事不過三(三度目の正直)」などである。人類の進(jìn)歩につれて、三の倍數(shù)も「多い」という意味となった。例えば、「三頭六臂(三つの頭と六本の腕がある)」、「三六九等(いろいろな等級)」、「十八般武藝(武蕓十八般)」などである?!赴?、千、萬」も「多い」という意味であり、例えば、「百家姓(実は數(shù)千家がある)」 、「千家詩(ただ二百二十四首である)」 、「萬歳(実際には百歳の人も少ない)」などである。
日本語では、「三、百、千、萬」も中國語と同じく「多い」という意味である。以下の例を見ればよくわかるだろう?!笎櫰蓼习倌辘尾蛔鳌?、「千里も一里(戀しい人の所へ行く時(shí)は、遠(yuǎn)い路も短く感ぜられて苦にならない)」、「一事は萬事(一事を見れば、他のすべての事を推察できる))」。もちろん、日本語の中では、三にもときとき「少ない」という意味がある?!腹珒xの三日法度」はその一例である。しかも、これは主流ではなく、三は「少ない」という意味を表す場合は少ない?!钙?、八」は日本語の中では、「多い」という意味を表している。例えば、「男子は家を出すれば七人の敵あり」、「浮き沈み七度(人生には浮きたり沈んだりすることが多い)」、「手八丁口八?。à工毪长趣猡筏悚伽毪长趣膺_(dá)者なこと)」、「岡目八目(他人のしていることを脇から見ていること)」など。そのほか、「多い」を意味する數(shù)字はよくある。例えば、紙子四十八枚、江戸は八百八町などである。
以上の例によって、日本語と中國語の中では、特定の數(shù)字で無限の數(shù)や概念などを代表することが多いということがよくわかる。この點(diǎn)では、日本人と中國人の民族共性がよく見える。これは有限の數(shù)字を利用して世界の無限なことを表す知恵である。
三、吉と忌
各民族の言語や習(xí)慣などの多様性によって、各民族は數(shù)字に対する感情も各自の特色がある。その中で、中日は吉と忌についての概念は大変異なる。
中國語では、広東話によって、「八」は「発(儲かる)」と同じ発音で、よく人気のある數(shù)字である。結(jié)婚や親友の訪問やクラスメートのパーテイーなどはいつも「八」に関する期日を選ぶ?!杆摹工稀杆募景k財(cái)(一年中はお金をたくさん儲かる)」で、「六」は「六六大順(一切は順調(diào)に進(jìn)む)」で、「九」は「久」と同音して「永久」を象徴し、「四、六、九」も吉祥の數(shù)字と見られる。そのために、中國食卓の上では、料理四つにスープ一つの場合が多い。
日本語では、「八」は下方が開いてしっかりとしている形をするので、日本人に好まれている。日本古代の書物である『古事記』、『日本書記』の中では、「八」はよく出た。明治維新以後、日本軍國主義の指導(dǎo)者は「八」を盲信する狀況に陥った。1885年、日本政府は強(qiáng)大な軍事力によって、清朝の政府は『天津條約』を強(qiáng)引にサインされた。選定された期日は四月八日であった。1904年、日露戦爭中、日本軍艦は旅順口と仁州のロシア軍艦を攻撃する期日は二月八日であった。1931年、日本帝國主義は悪名高いの九·一八事件を起こした。これらの史実によって、日本人は古代から「八」を崇拝していることがよくわかる。しかも、中國人と反して、日本人は「四」「六」「九」が好きではない。なぜなら、「四」は「死」、「六」は「碌」、「九」は「苦」と同音しているからだ。そのために、アメリカのあるゴルフメーカーは四つのボールを一組みにして日本に販売するとき、売れ行きがうまく行かない。また、日本の病院や旅館などのところには「四」と「九」の部屋番號がない。話によると、羽田空港には四番の広場がない。野球運(yùn)動者は四番と九番のトレーニングウェアを著ない。新年の三日前の「三賀日」はお餅を作って新しい年を迎えるのである。しかし、12月29日は例外である。29日に作るお餅は「苦餅」と見られて、食べるなら來年は苦しい年となると思われる。古代日本の斷頭臺は最高の第十三級にあって、第十三級に歩くと頭を切るのを意味するので、日本では「十三」も不吉の數(shù)字である。
人類の文化史を開いて読むと、數(shù)字は言語、文化の一部分として、時(shí)代の発展につれて進(jìn)んでいる。中日はある數(shù)字に対して好き嫌いは違っても、「八」は時(shí)間の流れともせずに、ずっと中日の愛好の數(shù)字という役を演じているのである。
四、奇數(shù)と偶數(shù)
みんなが知っているように、中國は古代から偶數(shù)を崇拝し、偶數(shù)は吉祥の象徴だと思っている。そのために、結(jié)婚祝い、親友の訪問、お見舞いなどの時(shí)、人々は偶數(shù)のプレゼントを贈る。そうしないと、常識がない人だと見られる可能性があるのだ。前文が書いているように、中國人は「四、六、八」という偶數(shù)が好きである。中國人は祖先を祭るとき、食卓の料理はてっきり奇數(shù)である。例えば、「七、九、十一、十三、十五」皿の料理を準(zhǔn)備するのだ。奇數(shù)は祈るという気持ちを示す。
こいうところでは、日本人は中國人と全然違って、奇數(shù)を崇拝している。日本のカレンダーを開いてみると、日本の十三の法定の祝日の期日はほぼ奇數(shù)である。その中で、11月15日の「七五三の?!工先毡救摔纹鏀?shù)好きということをもっとも明らかに示している。男の子は三歳或は五歳、女の子は三歳或は七歳となると、この日に盛裝して親につれて神社にいって、過去の健康成長を祝って、將來の順調(diào)を願う。茶道會の儀式はとても複雑で、もっとも正式の場合で、正午の茶道は「茶事七式」がある。茶室の庭園に置いた石も奇數(shù)で、大きさと見た目が異なって、七枚から十五枚がある。戸々の仏壇の花瓶には、「仏、法、僧」三枚の供花を挿している。日本伝統(tǒng)の副食も「醤油、漬物、関東煮」三大料理がある。その外、「三関」「日本三景」「三味線」「五重の塔」「五節(jié)句」「七寶焼」などのように奇數(shù)で物を數(shù)える例は數(shù)え切れない。
中國人は古い時(shí)から「好事成雙(いいことはよく二つある)」という民族心理をもって、偶數(shù)文化は代代と伝わっていた。それで、日本人は民族風(fēng)俗の影響下、奇數(shù)文化の民族だと言ってもいいであろう。
五、「好き嫌い」の原則
中國人と日本人とでは數(shù)字の「好き嫌い」は違うが、「好き嫌い」の原則は大體同じである。第一は數(shù)字の発音だ?!?」を忌み嫌う原因は「死」の発音と同じからで、日本の電話番號の中で一番嫌われるのは「8342(破産しに)」と「4279(死に泣く)」だ。中國では「521」の発音は「我愛你」に似ているから「521」は愛してるという意味になる。第二は実用の意味がある。攜帯のメールでは「084(オハヨウ)」は「おはよう」に、「39(サンキュウ)」は「ありがとう」になる。このような例はたくさんある。例えば、化粧品會社の電話「0120-469768(白くなるわ)」、自動車保険會社の電話「0120-840840(走れ走れ)」、外國語學(xué)校の電話「0120-324929(身によく付く)」、おむつを売る會社の電話「0120-041062(よいおむつ)」、このような番號は覚えやすい。第三は人間の心理だ。意味がよくない數(shù)字を忌み嫌って、縁起がいい數(shù)字を好む。中國人は電話番號と自動車番號を選ぶ時(shí)8と6が好きだ。8と6には金運(yùn)に恵まれて、何でも順調(diào)に進(jìn)むという願いがある。
六、まとめ
本稿は四つの方面から、中日の數(shù)字観の異同を比較してから、日本人の特別な數(shù)字観を検討した。中では、中國古代文化の浸透もあり、日本固有の発音の影響もあり、歐米の宗教文化の衝撃もある。それに、日本文化の開放性と和の意識もよく見られる。これらは今後日本文化研究する時(shí)によく注意すべきものだと思う。
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作者簡介;李建英(1988.3),女,湖南衡陽人,碩士研究生,研究方向:日本文化方向。